不定期日記

わたしが日記を書きます。それだけ

夏の花

夏が近づいているのを感じます。

外の世界と隔絶されていたが故に余裕ぶっこいて長袖で外に出たら、夏は私が思っていたよりもずっと速い速度ですぐそこまで迫ってきていて、激しく後悔をしました。

夏は朝がいちばん活動しやすいので、毎年夏になると無駄に早起き性になるのに、今年はその気配が一向になく、もうすっかり高くなってしまった太陽の照りつける暑さに耐えかねて、布団からのしのしと這い出る日々が続いています。なんて体たらくになってしまったんだ。元気に毎朝ラジオ体操していたころの私に戻りなさい。

私はヨルシカの作品たちと過ごす夏を本当に愛しているのですが、今年はその中でも『花に亡霊』という曲に特別、愛情を注いでいるところです。去年の夏(公開されたのは初春だったけれど)出た曲だとは思えないくらい、ずっと昔から知っているような懐かしい気持ちになる曲です。
この曲は、単純で普遍的なきれいなものを描こうと思って作った曲で、根底に川端康成の『化粧の天使達』(別れる男に、花の名前を一つは教えておきなさい。花は毎年咲きます。が有名なアレ)があるんだそうです。そして、思い出は亡霊である、とも。

わたしは霊感ないので亡霊に出会ったことはないですが、よく、過去に取り憑かれる、とか言いますので、思い出が亡霊という解釈は、あながち間違いではないかもしれないです。

 

花に亡霊

花に亡霊

  • ヨルシカ
  • ロック
  • ¥255

今も見るんだよ 夏に咲いてる花に亡霊を

夏に咲く花、といえば、花火を思い浮かべます。昨年は残念ながら花火大会がなかったので花火が見れなかったです。花火を別れる男に教えた方々、残念です!桜は昨年も今年も変わらず咲き誇っていて美しかったので、やはりそういうところに人工物の限界を感じますよね。国破れて山河在り、というか。ちがうかな?
この前なんとなく外を歩いていたら、出処は不明ですが突然わたあめとプールの匂いがして、すごく切なくなりました。ヨーヨーのゴムっぽい、粉っぽい匂いも漂ってきそうな、そんな空気でした。今年は花火大会、あるんでしょうか。

前述の通り、最近は予定がない日は(ある日もたまにやらかしますが)昼近くにしか起きられない体になってしまい、しかも、起きてから小一時間ほどベッドの上でぼうっとしてしまいます。そんな生活しか送れないことを嘆きつつ、閉めたままのカーテンの奥に太陽を認識しながら、特に何も考えずに寝転がったままでいるのはとても心地が良いものでもあります。その状態でイヤホンをつけて音楽を聞くと最高です。やはり梅雨の晴れ間がいちばん尊いです。もうその日一日は何もしたくなくなります。

でも「何もしない」というのも結構体力のいることで、私は「何もない日」がわりと苦手なタイプなので、することがないと落ち着かなくなって部屋の中を意味もなくぐるぐると徘徊したりしてしまいます。きっと第三者から見たらシンプルに恐怖なんですが、だからといって無理にやりたくないことをしたりはしたくないので、どうしようもないですよね。せいぜいぐるぐるしていようと思います。

数日前、バイト先のお店に飾る笹の葉に短冊を吊るしてきました。七夕飾りなんてもうこの先の人生では縁のないものだと思っていたので、思いがけず再会を果たしたそれに、なんだか年甲斐もなくどきどきしてしまいました。七夕って、数ある季節ごとの中でも一番に忘れ去られる行事じゃないですか?実際に私はバイト先で笹の葉を見るまで七夕の存在自体を忘却していました。幼い頃の7月7日も、今の7月7日も、同じだけの価値があるはずですが、大人になればなるほど「なんでもない日」が増えるのって寂しいです。

短冊を書くにあたって、パートのお姉さんに「なにか欲しいものある?」と聞かれ、「心の余裕かな」と答えたらそれはなんか却下になりました。だからわたしは器の小さい短気女のままです。しかたがないので、代わりに『やさしくなりたい』と書いてきました。お姉さんは『プリキュアになりたい』って書いてました。なれますよ。

優しくなりたいです。人にも物にも自然にも、森羅万象ぜんぶ許せるくらい、もっと優しくなりたいと思います。そしてゆくゆくは、許せないことばっかりで短気な私自身のことも、本当は許してあげたいです。そう考えると、自分のことを許せる人がいちばん心が広いのかもしれないですね。
心の余裕拡大は祈願できなかったので叶いませんが、低容量な心のまま、まずは自分の好きなものから優先的に許していきたいと思います。がんばるぞ!